「長生きしてください」の取り扱い方

 

ちょっと重めなお話です。

 

気分が沈みがちな方は避けられたほうが良いかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

「長生きしてください」

 

この言葉を、

人生の中で言ったり、言ってもらったりする機会が何度かあると思います。

 

使い方としては、

励ましだったり、

「私にとって大切な人だから、長生きしてほしい」という意味だったり……

 

 

私も何人かに伝えたことがあります。

もちろん、言ってもらったこともあります。

 

ガンの末期の方にでさえ、言いたくなる時もあります。

 

 

コミュニケーションのひとつになっているのかもしれませんね。

 

 

しかし、

最近思うのは、この「長生きしてください」はプラスに働かないこともある、

ということです。

 

 

 

 

もちろん、プラスに働くこともあります。

 

可愛いお孫さんに、

「おじいちゃん、おばあちゃん、長生きしてください」と言われれば、

おそらく半年から1年くらい、もしかしたらそれ以上の寿命が延びるような気がします。

 

孫の成長を見ながら老後を過ごすのは、大きな楽しみの方も多いでしょう。

 

 

 

では、独り身にとってはどうでしょう?

 

助け合う友人や親せきがいる場合もありますが、

配偶者がいる人に比べて、

経済的にも、精神的にも、肉体的にも、

ある程度は一人で乗り越えないといけない場面が多くなります。

 

 

葬儀を行える血縁がおらず、生きている間に業者と契約しておかなければ……と、

自分の将来の行く末を考えると憂鬱になることもあるでしょう。

 

 

 

将来を憂いていたり、

寿命まで残っている時間が長い、と感じる人に対して、

「長生きしてください」と声を掛けるのは、酷なのではないかと感じます。

 

私自身、婚約者が亡くなってから、

「長生きしてください」と言っていただくシーンが増えました。

 

気にかけてもらえることを嬉しくも思います。

 

しかし、

それが配偶者に支えられ、さらに子孫に恵まれた相手の言葉だと、

ひどく滅入っている自分に気付くのです。

 

 

年に1度会うかどうかの相手だと尚更です。

 

「長生きする」ということは、

食べることをはじめとして、着替えや買い物、掃除に、移動、

さまざま行動が必要となってきます。

もちろん、それに加えて、お金や住む場所などもずっと必要になってきます。

 

 

私たちは、あまり他人の生活に必要な背景を想像することはありません。

 

医療や介護、身の回りの世話も、

「あの人の家族がするだろう」と当然のように思います。

 

このように、

言葉は伝えるけど、それ以上は我関せず、なのであれば、

求められたとき以外は、

『人の命の長さに関わる言葉』を言わないほうが無難なのかもしれない……と、

思うようになりました。

 

どんなに大切な人であっても、

歩けなくなったら車椅子を押してどこまでも付いていく! 

という覚悟を持って接しているのではないなら、

「長生きしてください」と願うのはこちらの身勝手なのではないのか、と……

 

 

また、

真心を込めて、「長生きしてください」と伝えた相手から、

「いえ、もう良いんですよ」や「あまり長くは生きたくありません」などと、

苦笑いしながら返された経験はありませんか?

 

それは謙遜、というか控えめに応えた方もいらっしゃるのでしょうが、

ある程度の年齢になって配偶者に先立たれたり、

お嫁さんとうまくいってなかったり、

場合によっては、お子さんに先立たれている場合もあるでしょう。

 

人は様々な背景を背負っているので、

長生きすることが幸せだと感じられない人も、実は多くいるのです。

 

 

そもそも、

『長生き』が『善』だと捉えられるようになったのは、いつ頃なのでしょうか?

 

もしかしたら、それは生命が生まれた時からなのかもしれません。

 

狩りをして、農耕をして暮らし、

医学が発達していないために多くの仲間を失いながら、

「長生きすることは良いことだ」となったのかもしれません。

 

 

笑って、大切な人たちに囲まれながら長生きできたら幸せでしょう。

 

しかし、それが叶わないことも多いのが現実です。

 

 

 

「長生きしてください」

 

お孫さんからもらうような場合、確実に人を元気にさせる言葉です。

 

しかし、同じ言葉を発音しているだけなのに、

使い方や捉え方ひとつで、大きく人の人生を変えてしまうこともあるかもしれません。

 

孤独や痛む体と闘いながら生きる人にとって、

残された時間が、残酷なほど長く感じる時があるからです。

 

自死を選ぶ理由のひとつに、

「この苦しみが永遠に続くように思える」

そう感じることが挙げられます。

 

 

「長生きしてください」

これは、良くも悪くも「人の命の時間」に関わる言葉なのでしょう。

 

「こんにちは。良いお天気ですね」

そんな挨拶と同じような感覚で使うには、あまりにも重く、危うい言葉のように思います。

 

もちろん、私自身も、

「長生きしてください」と思わず言いたくなるほど大切な人たちはいます。

しかし、自分の経験もあり、

使うのをためらうようになりました。

 

すべての人の終末まで責任が持てない上に、その人が長生きを望んでいるとは限らないからです。

 

 

今日、うつ症状が出ている人に対して「頑張って」という言葉は危険だと、

広く認識されるようになりました。

 

それと同じく、

励ましたいから声を掛けるにしても、

取り扱いに非常に慎重にならなければならないのかもしれません。

 

 

まるで洗剤のようだと私は思います。

正しく使えば、汚れを落とし、人々の暮らしを助けます。

 

しかし、

ひとつ間違えれば、肌を傷つけたり、有毒なガスが発生します。

 

 

 

 

「長生きしてください」

 

それは、

 

「取り扱い注意」「混ぜるな危険!」

 

そんな言葉なのかもしれません。