今日は3月11日、
日本、特に東日本にとって忘れられない日ですね。
もう5年、まだ5年、
なんとも表現できません。
同年の2011年の1月に、
私の婚約者が亡くなり、
しかし、サロンを天満橋に開いて、
自分の足で歩いて行かなくては、と思っていた頃です。
彼が亡くなったとき、
もし、事故や災害で死んだとしても怖くなくなったな、
なんて考えが過りました。
3月11日の震災当日も天満橋で仕事中でした。
体を横に引きずられるような強い眩暈を感じたのを今でも覚えています。
途中で「これは眩暈じゃない!」と気付き、カウンセリングを中断し、
サロンの玄関ドアに傘立てをかませ、
ビルのガラス扉(セコムで施錠されてしまうことも)も開いたままにしました。
2ヵ月ほど前まで、何かのきっかけで死ねたら楽だなんて考えていた体が、
何かあればクライエントさんを避難させなければという考えで、
スルスルと体と頭が動いたことが不思議でした。
店舗にはテレビがないので、遅れたり止まったりする電車でようやく自宅に戻り、
東北の被災状況を知ったのです。
5年経った今、
復興で少しずつ再開される町、頑張ろうと掛け合う声、
素晴らしいことだと思います。
しかし、大切な人、思い出の品や建物を失った悲しみは、そうそう癒えるものではありません。
行方不明でまだ会えていない人もたくさんいらっしゃいます。
幽霊でも会いたい。
声が聞きたい。
他愛ない話をして笑いたい。
もう一度ふれてみたい。
そんな思いが癒えるのは、天国で会えるときなのかもしれません。
だけど、こちらはまだ地上で頑張らなくていけない。
そんな時、目に見えなくてもそばにいてくれているのだという思いが人を支えることがあります。
科学的でないとか、実証できないという時代ではないのだと思います。
まさに魂の時代。
信じることで、愛し愛され、救われることもある。
それで良いのではないでしょうか?
お盆にお墓参り、お正月に神社仏閣に参拝しているような民族が、
大切な人の霊魂だけ信じられないなんて、おかしな話です。
身近に死を感じたり、生きることについて真剣に向き合う流れの中で、
魂とはどこかでつながるものです。
つまり死生観ですね。
これらは心理学の中でもスピリチュアル要素の強い分野ですが、
私の一番得意とするところです。
阪神大震災後はここまで言われなかった霊魂についてや死後の世界との関わりが、
ニュースや新聞など公的なメディアが取り上げていることは嬉しい変化です。
津波で亡くなった男の子がおもちゃを動かしたり鳴らしたりする話や、
東北の「幽霊タクシー」
つまり、震災後にタクシーの運転手さんが経験した話を集めて、
東北学院大学4年の工藤優花さんが論文にまとめておられます。
それが反響を呼び、『呼びさまされる 霊性の震災学』という書籍として販売されています。
ぜひ私も拝読しようと思っています。
『遠野物語』にも、1896年の明治三陸地震の津波で亡くなった妻が現れる話があります。
古い時代から、死の側にいる人間と生の側に生きる人間との不思議な関わりが語られてきました。
東北ではないですが、
墓の中で出産し乳が出ないため、我が子のために飴を買い続ける女性の幽霊の話
『子育て幽霊』なんていうものもありますね。
今でも「幽霊飴」は現地のお土産として人気です。
今日のニュースでも霊魂は「ある」か「ない」かではなく、
遺された人の心に寄り添う手段のひとつとして、
幽霊話はとても優しいものではないかと思います。
私自身も彼が亡くなり2~3年経った頃から「もう大丈夫でしょ?」
「次の人はいるの?」なんて気軽に聞かれるようになりました。
しかし、当人からすると、
100%「もう大丈夫」なんてことはおそらく来ないのだと思います。
失ったものは戻らないから。
それでも、また春がやって来て、新しい芽を出し、
花を咲かせ、実を付けます。
東北の方たちにとっても、
失ったものは戻らないけれども、
新しい幸せが1つでも2つでも、たくさんでも、
入って来たら入って来た分だけ、迎え入れてあげられるように願います。
また、やはり大切な人を失った人は時間のスピードが異なります。
津波で行方不明になった方たちを、ずっと探し続ける方もおられるでしょう。
そんな方たちに、
もう〇何年も経つのに……とは絶対に思わないでください。
誰かを失った悲しみ、特に遺骨や遺品すら見つからない状況は表現しきれません。
今現在も、苦しんでいる人がたくさんいること、
危険だからと探すことすらできない場所があることを、
エネルギー政策より前に、国はきちんと把握するべきです。