阪神・淡路大震災から22年 追悼の日

 

阪神・淡路大震災から22年が経ち、

本日は追悼式でしたね。

 

ちょうどリアルタイムでニュースを見ながら、

黙祷ができました。

 

ニュースや教科書でしか震災を知らない成人が増え、

「風化してきている」とか「追悼式も金銭的に負担がかかる」などの声を聞きますが、

1月のまだ夜も明けない寒い中に、あんなにたくさんの人が集まって祈りを捧げ、

20年以上経った今でも涙が出る人たちがいるであれば、

ずっと続けていくべきだと思います。

 

また、個人的な意見では、

震災で親御さんやお子さん、配偶者をはじめとする親族や、

恋人、ご友人を亡くした悲しみ、

家や家財道具が目の前で燃えていく虚しさのしこりを抱えたまま生きている世代の方が、

まだまだたくさんおられるのですから、

続けていって欲しいと思います。

 

中には、儀式を見ることで、

余計に辛くなる方もいらっしゃるとは思いますが、

慰められる方、拠り所にされている方が多いのではないでしょうか……

 

また、ニュースでも、

幼稚園、小学校低学年くらいのお子さんが真剣に手を合わせる様子が映っており、

たとえ、震災を知らない世代がほとんどになっても、

きっとこの子たちが受け継いでくれるのではないかと信じています。

 

黙祷の本当の意味が分かるまでの年齢になるのは少し先でも、

お盆に「お墓やお仏壇の前では、こうするんだよ」と大人に教えられたように、

追悼の儀式も繋がっていくのだろうと思います。

 

また、神戸から熊本へ向けて、歌などのエールがありました。

同じ経験をしたからこそ、分かち合えるものもありますよね。

 

「じしんにまけないつよいこころ」と他府県の大人から言われても、

何不自由なく暮らしている所から言われてもな……と、

受け入れられないこともあると思います。

 

しかし、子どもの無邪気な文字や言葉や歌声は、

苦しみや悲しみを溶かしたり、包んだりする効果があるのでしょうね。

 

震災に限らず、

地域によって、精霊流しなど魂と向き合う行事はたくさんあります。

 

都会でも、キャンドルナイトが最近増えてきましたね。

節電効果、美しい、幻想的だけでなく自身の心を内観する時間も取れますね。

これはスマホのブルーライトでは難しいものです。

 

どんな形であれ、

亡くなった方に敬意を払い、自分の心や肉体、魂の声を聞く時間を時折持つことは、

生きる者の務めの一つなのだと感じます。

 

 

亡くなった方には心よりのご冥福を。

 

大切な方のそばにいらっしゃるのか、

すでに生まれ変わっていらっしゃるのか、様々だと思いますが、

第二の望んだ人生を幸福に生きておられることを祈ります。

 

また、遺された方たちには、

少しでも傷が小さくなるように。

 

私自身の体験からも感じていますが、

きっと悲しみの棘が完全に消えることはないだろうけれども、

その傷以上の幸福がこの先にあることを

祈っております。

 

 

                   2017年 1月17日